心情発露にうってつけの日

パンドラの箱のような、そんな世界に生きていたという気づき

映画ムクウェゲ「女性にとって世界最悪の場所」で闘う医師 を観た。

数ヶ月前、こんな記事を書いた。

 

lazysong.hatenadiary.com

 

メインブログに当初投稿したが、あまりにも他記事と毛色が違いすぎるのでこちらのブログへ移動させた。読んでくださった方々、スターをつけてくださった方々ありがとうございます。読まれているかわかりませんが(過疎過疎ブログだもんで)、ここでお礼を述べさせていただきます。

 

 

さて、私は一度この映画を観る前にEテレで放送されていた特集を視聴した。このとき初めて鉱物紛争なるものを知った。

そこからインターネットで自分なりにコンゴ民主共和国(以下DRC)について調べまくった。ルワンダ虐殺から始まった最悪の国のカタチ。歴史上の接点という意味では我々日本人は関係ないと言えるかもしれないけど、スマホやパソコンの恩恵に肖っている時点でもう無関係・無関心とはいかなくなった。どうすればこの悪夢のような状況を打破できるか、私なりに考えをまとめた上でこの映画を視聴した。

 

 

知った上で観ていても被害者の方や元加害者の方のインタビューで涙が出てきてしまった。本当に非道いのだ。それでも淡々と当時の状況を話せるほどには回復*1できているのを見ると、不思議ながら人間の底力のようなものも感じた。

DRCの街の様子を見て意外だったことがある。紛争自体は一応終結したとなっているからか、街の光景は賑わいがあるように感じた。沢山の家が立ち並び、人々の往来も活発だ。ほどよく木々も生い茂っていて、景観は非常に良い。

ここが本当に「女性にとって世界最悪の場所」なのか?と思うほど。いや、逆にそれだけ性暴力を主流とした抗争になっているということだろう。

「豊かな土地にも関わらず、人々は貧困に喘いでいる」という趣旨のセリフが印象的だった。そして豊かゆえに「窓もドアも鍵もない宝石店」となってしまっているのだ。

しかも司法制度の明らかな欠陥。そうなると人間はここまで倫理感を欠落させることができる。人間の悪意は底知らずだと思った。

 

もう少し斬り込んで欲しかった点もある。辛口なコメントになっているかもしれないが何点か挙げていく。

問題の紛争鉱物について「世界の企業は実際どれほど真摯に取り組んでいるのか」

書面上こういうプロセスで取引しましょうという決まり事はあるがその実態は?

それを達成できていると主張する企業側とDRCの現実問題は大きすぎる乖離があるのだ。A◯pleやテ◯ラとまではいかないが日本国内でJEITAなんかに取材はできなかったのだろうか。日本の一大産業といえば車だが、当然これにも紛争鉱物が使われている可能性は十分にある。有名メーカーでも「サプライヤーに対しこうした取り組みをしている」とホームページ上で確認できないところもある(上手く調べられていないだけだったら申し訳ないが)

努力義務というのもあるが、業界内でこの問題はどこまで浸透しているのか。

TBSが日和ったのかは分からないが、多少触れて欲しかった。むしろここに時間を割いても良かっただろう。

 

次にBLM運動が盛んな欧米で現在のコンゴの情勢ついてどれほど認知度があり、取り組みをしているのか。この運動の一環でかつてDRCを私的支配していたレオポルド2世の像が破壊されている。日本に比べれば、欧米諸国のほうが自分事として捉えている人が多そうだがどうなのだろう。

ただ、少し前にSNSで流れてきた欧州議会の様子だと女性が(一部だけ切り取られた動画だったのでどういった方かはわからなかった)「あまりにもDRC東部の状況について関心が薄すぎる!」と声を荒らげていた。

やはり向こうも日本と対して関心度は変わらないのだろうか。

欧州まで飛び、もう少し取材範囲を広げてもよかったのではないだろうか。

 

 

次。これが聞いてて「????」となったのだが、性加害者にならざるを得なかった人に対し「女性をレイプするときお母さんやお姉さんの顔は浮かびましたか?」「あなたは被害女性に会ったらなんと言いたいですか?」といった不必要に傷口に塩を塗るような質問。少し前に某アイドルも元日本兵だった方に似たような質問をしていたが、そういったことを聞かなければならないルールでもあるのだろうか。

その質問の意図がなんなのか私は分からなかった。

「事情はわかるが性暴力を働いたのだからお前は加害者だ、悪人だ。そこ理解できてる?」というような感じに聞こえたが・・・・・・。

違ってたらすみません。

彼は加害者だが被害者である。武装勢力に逆らえば家族もろとも皆◯しなのだ。

実際「性暴力を行う際には麻薬を使用する」「武装勢力の頭が死んだのでこの混乱に乗じて逃げた」と言っていた。この事実だけで彼の心中は十分に察することができる。

そういった質問は武装勢力の幹部クラスにでも聞いたほうがいい。きっと彼らにはそういった行為を正当化できるだけの大仰な志があるのだろうから。

 

ムクウェゲ医師の暗殺未遂についてのエピソードでは

国外へ一時避難していたムクウェゲ医師に対し女性達が「国も国連も守ってくれないなら私達が守る。だから帰ってきて」と微々たる給料にも関わらずDRCまでの運賃を医師へ渡したという。

ここのシーン、美談ように捉えてしまいがちだが、問題なのは「国も国連も」の部分。ここに「私達が入ってしまってる」と感じたのは私だけだろうか。

日本は国連に加盟している。国連総会や理事会で日本の顔となっているのは外務大臣だ。その大臣は国会議員から選出される。その議員を選ぶのは私達だ。

自分の持つ選挙権の重み。これを一人ひとりが感じることができたら。たかが一票されど一票。

もちろんこのことだけで投票先を決めるべきではなく、あくまでもひとつのファクターとしてあってもいいんじゃないか?ということ。

残念ながら、いろいろ考えた末がこの結論である。実質無力といってもいいかもしれない。病院にも2回ほど寄付をしたけど、どうしても自分の無力感やそれに対しての懺悔の気持ちは拭えない。

 

一刻も早くDRC内に平穏が訪れるように、同じ女性として今後も関心を寄せていこうと思う。

 

*1:映画内では修復と言っていた。ギリギリ活力を保っているのかもしれない