心情発露にうってつけの日

パンドラの箱のような、そんな世界に生きていたという気づき

武器を置く

安倍政権時、「憲法9条」を改憲する気運が高まっていたように思います。

かくいう私自身も改憲賛成派でした。

なぜなら隣国は北朝鮮・中国・ロシアと核兵器を持っていたり、軍事力が上り調子の国々だらけだから。いずれ9条なんて関係なしに侵略に来るかも、アメリカだって本当に傘となって日本を守ってくれるのか甚だ疑問だし、と。

 

アフリカでの悲惨過ぎる紛争に、ようやく井の中から出て世界が今どんな状況なのか自分なりに情報収集をするようになりました。

 

どうすれば「争い」ってなくなるんだろう。

弱い女性や子どもが被害を受けずに済むんだろう。

 

もう少し厳密に言うと「争い」自体はなくならないと思います。

 

ただ、国際法に則ったぶつかり合いは、理想的な大義

何かで読んだことがあるのですが、日本でも戦国時代のあたりでは合戦の場から少し離れたところで、農民たちはお弁当を食べながら観戦していたこともあったとか。

すなわち戦う人・そうでない人が分けられるのが理想だよなというのは常々思っていて。

 

戦わない人を守るためにも、これから先進国と対等な軍事力を持つ。これからの平和への道はこれなんじゃないか。そう思っていました。

これは世界を知った気になったつもりで、まだまだ国内情勢にしか目を向けられていなかったが故ですね。

 

アフガンで医師として活動しておられた中村哲さんの発言を拝読してハッとさせられました。

 

「向こうに行って、9条がバックボーンとして僕らの活動を支えていてくれる、これが我々を守ってきてくれたんだな、という実感がありますよ。体で感じた想いですよ。武器など絶対に使用しないで、平和を具現化する。それが具体的な形として存在しているのが日本という国の平和憲法、9条ですよ。それを、現地の人たちも分かってくれているんです。だから、政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さない。むしろ、守ってくれているんです。9条があるから、海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。それが、ほんとうの日本の強味なんですよ。」

wikiより引用)

 

このまま自衛隊の活動範囲を広げることや軍備増強に走るのは実はとんでもない間違いだったんじゃないか。

 

争いを止めるのは、お互いが武器をもった状況にするのではなく、置いた状態を作ること。

武器を置いている状態が普通の人間に、わざわざ攻撃することはない。

むしろ私達の役目はこの憲法9条を波及させていくことなのかもしれません。

 

人の悪意は想像以上に深いものです。日本ではありえないことが他国では当たり前にまかり通っている。

この現実に気付かされました。

 

これからも勉強を続けていきます。

 

 

では、ここまでお読みいただきありがとうございました。