動物愛護関連の動画やら記事を読んでいると少数ながらも批判のコメントが有る。
よく見るのが「なぜ犬猫だけ?」「ゴキブリにも権利が〜」「エゴイスト」
「捻くれてるなあ」と感じつつも、言われてみればその疑問ももっとな気がするので少し調べつつ私自身の見解を書いてみようと思う。
動物を愛護すると一言で言っても野良の保護、去勢、逆に動物園や水族館では繁殖活動をしていたりするし、その方法は多岐に渡る。
基本的に私達一般ピーポーの言う動物愛護は
人間社会を生きる――言ってしまえばこちらの勝手な都合で自分たちの生活圏内に巻き込んでしまった動物達を指している。最早私達は肉を食べねば生きて行けないし、あらゆる生活用品に動物実験は不可欠だ。
動物愛護管理法からの引用で言うと
対象動物は、家庭動物、展示動物、産業動物(畜産動物)、実験動物など、人の飼養に係る動物です。
とある。
なので(本気でそう思ってコメントしているかどうかはさておき)そもそも人間社会に動物を引き入れているのだから、エゴイストなのは全人類が当て嵌まるし、ゴキブリなんて基本野生下の生き物なので議論に値しない。まあ思うのは自由だけれど、動物愛護の定義上の前ではなんの意味も持たないということになる。
そもそも野生の動物にはこちらからは干渉しないぐらいがちょうどいいのだ。
これまで散々彼らの環境を破壊してきたのだから、あとはなるべく自然のままに任せよう。
と言いたいところだがそれが中々そうも行かない場面というのが存在する。私の身近な例を挙げさせていただくと、
うちの祖父母宅では最近猫を飼い出した。もともと野良猫で彷徨っていた子である。
うちの祖父母はテレビなんかでも肉食動物の捕食シーンや漁で大量に網にかかった魚を見るのも辛がるほど弱い立場の存在に優しい。
昔はこんなことはなかったと思うのだが、ここ数年彼らの家にぞくぞく猫が迷い込んでか餌を求めてか家の周りをうろつくことが増えた。もちろんただ遠くにいて人間に警戒心を持っている子もいたが、人懐っこい子も複数匹いた。その子たちには餌を与えて、避妊・去勢の手術。祖父母の性格的にニャアニャアなく小さなかわいい生き物を放っておくことはないよなと私は微笑ましく聞いていた。
ただ、家猫として飼っていくには祖父母は高齢すぎるのである。一応50代の叔母は一人同居しているけれど、心許ないのはお分かりだろう。
なので庭まではOKだが、家にいれることはしなかった。
そうしていたら、ある日家の前の道路でよく餌を貰いに来る子の内1匹が車に轢かれていた。その子は家で埋葬したようだけれど、そこからあまりにも人から離れられない子(元々家の中に入りたがっていた子)は家の中で面倒をみるように。
現在は家の中には2匹のにゃんこが共同生活中。めちゃんこ広い戸建てなので猫ちゃん達は幸せだと思う。
ただこれ以上世話をする数が今後増えてしまうのは、避けたいと祖父母も考えているが、何がどう傾くかはわからない。懸念点はいろいろあるというのはお分かりいただけるだろう。
話が長くなったが犬や猫は特に人間にとって身近な存在であり、彼ら自体が同胞のような存在だ。人間を見て威嚇したり拒絶するならまだしも仲間だと言わんばかりにすり寄ってくるような子がいる。これが厄介なのだ。彼らは悪くないけれどこの距離感の詰め方が愛護の判断を誤る元にもなる。
例えば熊を駆除することやマングースの根絶は可哀想だが必要なことだ。特にマングースは人間都合の象徴のような事例なので、同じことは繰り返さないためにも後世へ語り継ぐ必要があるだろう。
彼等のように共存はするが、共生は不可能とされ、距離を置くぐらいが本来はお互いのためだし、心地よいはずである。
ただ、犬や猫はもうここまでくると人間との壁が作りづらく、共生の道を優先的に模索しなければならない。
だからこそ必然的に保護団体も増えていて、愛護を叫ぶ人も多い。それだけの話しだろうとおもう。
そういう存在がゴキブリであればきっと今頃はゴキブリの保護団体が沢山生まれていたんじゃないかな。幸いにも彼らは人間から嫌われたからこそ人間社会の枠から外れることができている。
私がそもそも動物愛護に関心を持ったのは杉本彩さんが代表を務める動物福祉団体EvaのYoutube動画をたまたま見たのがきっかけである。
内容は長野県のブリーダーが起こした凶悪とも言える動物虐待事件。
「辛い」とか「可哀想」よりもこの世にはこんなおぞましい行為ができる人間が存在するのかと背筋が凍った。
私も帝王切開で息子を産んでいるからこそ全くもって他人事ではなかった。動物と人間は違うけれど、男性よりは確実に非力な女性という身。自分だって同じ状況にならないとは言えない。危機感を覚えた。
また、更に思うのは最期のときまで幸せを全うできている動物は、この世に生を受けた数に対しどれぐらいいるのだろう。
どれぐらいの飼い主が動物の命に責任をもって接しているのだろうか。食べ物であればどれぐらいの人たちが命に感謝をして食べることができているのだろうか。どの職業でも、一般家庭でも。
こちらの都合で勝手に人間と生活させているのにカネのために虐待(法の逸脱)を横行させるなんてあんまりの仕打ちだとあらゆる動物業界の方々は誰も思わないのだろうか。こういった愛護団体が声を上げているのに他の動物取扱業の経営者の方々はうんともすんとも言わない。それどころがガセネタまで流す始末。恐ろしく強気である。
命の軽視や無責任さ。
これがここ最近顕著になっているのではないだろうか。
動物というのは法律上モノ扱いなので言ってしまえば人間の赤子より立場が弱い。人間社会では間違いなくカースト最下位の存在。彼らへの接し方はその人間そのものを表していると思う。
人間・・・に限らず動物というのは余裕がないとどうしても弱いものへの当たりが強くなる。私自身子育てをしていて痛感することだ。
今の社会は弱い者がどんどんどんどん泣きを見ている。
社会の健全度合いを測りたいのなら、身近な動物に一度目を向けてみるのもいいかもしれない。一番弱い立場だけれど、私達の生活を土台で支えてくれているのは間違いなく社会で働いている動物達なのだから。
動物の環境や彼らの視点もお金とか性とかと同じくらい大切な教育だと思う。
私はペットを買ったことはないし、動物園や水族館も自ら進んでは行かないので、動物への接し方の正誤判断は正直難しい。
前述した祖父母宅のにゃんこですら毎回抱っこさせてもらうとき「これで合ってるんやんな?」とオドオドしてしまう。
動物への接し方なんで本来相手のことを思いやれているならば「正しさ」というのは存在しなかったはずである。
Evaでの活動を見ていると行政や司法の動物に対する姿勢がよく分かる。行政にしても司法にしてもあまりにも命のあるものに対して非情すぎやしないだろうか。お前らの血は何色だ?と問いたくなるような対応しかされない。政治的な問題も絡んでいるとは思うけれど。
動物のことを対して知らない人間ですらこう思ってしまうのだから、実際に家族として動物と暮らしている方々にとってこういった事件が耳に入るのは殊更辛いことと思う。
【特集】杉本彩のEva通信 犬や猫、ペット 動物たちの今 | 福井新聞ONLINE
今現在署名活動をされていますが、ここの記事をひと通り読むと動物虐待の厳罰化の必要性もうなづけます。
昔好きで見ていた動物バラエティ番組にも切り込まれていて、ここに出ていた動物たちを見る目が180度変わりました。マスメディアも罪深いな。
ここまで動物をモノ化することを助長しているのは何のためだろう。