心情発露にうってつけの日

パンドラの箱のような、そんな世界に生きていたという気づき

ひとつ、光が失われて

現在も鉱物資源による紛争が絶えないコンゴ民主共和国(DRC)の話だ。まずはじめに言っておくが、わたしには政治的は話はわからない。

 

先日はゴマ、そしてブカブが制圧されたとパンジ病院*1よりニュースレターが配信された。

 

此度勢いづいている反政府勢力はM23。ルワンダの支援を受けている。ムクウェゲ医師も度々批判していた。

 

 

www.bbc.com

www.sankei.com

 

ルワンダは欧米のお友達であり、また中国のお友達でもある。

 

そして紛争そのものの原因はツチ族フツ族の民族間闘争であり、更に遡るならば、ヨーロッパの植民地時代にある。

そしてレアメタルと呼ばれる鉱物がさらに人間の欲望を煽り、土地自体が権力者たちのゲーム盤にさせられているのだ。

 

彼らはルワンダの悲劇をRDCで繰り返すつもりだろうか。

 

欧米の態度硬化がまたひとつ平和を遠ざけるーー対話を拒むことと同義だと私は思っている。これはロシアとウクライナの戦争にも当てはまることだ。

 

ここ数日で一気に事態が動いた気もする*2が、トランプ大統領になったことと何か関係はあるのだろうか。

 

 

 

*1:この病院はブカブにある

*2:首都のキンシャサまではまだまだ距離はあるが

動物愛護について考えたい

動物愛護関連の動画やら記事を読んでいると少数ながらも批判のコメントが有る。

よく見るのが「なぜ犬猫だけ?」「ゴキブリにも権利が〜」「エゴイスト」

 

「捻くれてるなあ」と感じつつも、言われてみればその疑問ももっとな気がするので少し調べつつ私自身の見解を書いてみようと思う。

 

動物を愛護すると一言で言っても野良の保護、去勢、逆に動物園や水族館では繁殖活動をしていたりするし、その方法は多岐に渡る。

 

基本的に私達一般ピーポーの言う動物愛護は

人間社会を生きる――言ってしまえばこちらの勝手な都合で自分たちの生活圏内に巻き込んでしまった動物達を指している。最早私達は肉を食べねば生きて行けないし、あらゆる生活用品に動物実験は不可欠だ。

 

動物愛護管理法からの引用で言うと

対象動物は、家庭動物、展示動物、産業動物(畜産動物)、実験動物など、人の飼養に係る動物です。

とある。

 

なので(本気でそう思ってコメントしているかどうかはさておき)そもそも人間社会に動物を引き入れているのだから、エゴイストなのは全人類が当て嵌まるし、ゴキブリなんて基本野生下の生き物なので議論に値しない。まあ思うのは自由だけれど、動物愛護の定義上の前ではなんの意味も持たないということになる。

 

そもそも野生の動物にはこちらからは干渉しないぐらいがちょうどいいのだ。

これまで散々彼らの環境を破壊してきたのだから、あとはなるべく自然のままに任せよう。

 

と言いたいところだがそれが中々そうも行かない場面というのが存在する。私の身近な例を挙げさせていただくと、

うちの祖父母宅では最近猫を飼い出した。もともと野良猫で彷徨っていた子である。

うちの祖父母はテレビなんかでも肉食動物の捕食シーンや漁で大量に網にかかった魚を見るのも辛がるほど弱い立場の存在に優しい。

 

昔はこんなことはなかったと思うのだが、ここ数年彼らの家にぞくぞく猫が迷い込んでか餌を求めてか家の周りをうろつくことが増えた。もちろんただ遠くにいて人間に警戒心を持っている子もいたが、人懐っこい子も複数匹いた。その子たちには餌を与えて、避妊・去勢の手術。祖父母の性格的にニャアニャアなく小さなかわいい生き物を放っておくことはないよなと私は微笑ましく聞いていた。

ただ、家猫として飼っていくには祖父母は高齢すぎるのである。一応50代の叔母は一人同居しているけれど、心許ないのはお分かりだろう。

 

なので庭まではOKだが、家にいれることはしなかった。

そうしていたら、ある日家の前の道路でよく餌を貰いに来る子の内1匹が車に轢かれていた。その子は家で埋葬したようだけれど、そこからあまりにも人から離れられない子(元々家の中に入りたがっていた子)は家の中で面倒をみるように。

現在は家の中には2匹のにゃんこが共同生活中。めちゃんこ広い戸建てなので猫ちゃん達は幸せだと思う。

 

ただこれ以上世話をする数が今後増えてしまうのは、避けたいと祖父母も考えているが、何がどう傾くかはわからない。懸念点はいろいろあるというのはお分かりいただけるだろう。

 

話が長くなったが犬や猫は特に人間にとって身近な存在であり、彼ら自体が同胞のような存在だ。人間を見て威嚇したり拒絶するならまだしも仲間だと言わんばかりにすり寄ってくるような子がいる。これが厄介なのだ。彼らは悪くないけれどこの距離感の詰め方が愛護の判断を誤る元にもなる。

 

例えば熊を駆除することやマングースの根絶は可哀想だが必要なことだ。特にマングースは人間都合の象徴のような事例なので、同じことは繰り返さないためにも後世へ語り継ぐ必要があるだろう。

彼等のように共存はするが、共生は不可能とされ、距離を置くぐらいが本来はお互いのためだし、心地よいはずである。

 

ただ、犬や猫はもうここまでくると人間との壁が作りづらく、共生の道を優先的に模索しなければならない。

だからこそ必然的に保護団体も増えていて、愛護を叫ぶ人も多い。それだけの話しだろうとおもう。

そういう存在がゴキブリであればきっと今頃はゴキブリの保護団体が沢山生まれていたんじゃないかな。幸いにも彼らは人間から嫌われたからこそ人間社会の枠から外れることができている。

 

私がそもそも動物愛護に関心を持ったのは杉本彩さんが代表を務める動物福祉団体EvaのYoutube動画をたまたま見たのがきっかけである。

内容は長野県のブリーダーが起こした凶悪とも言える動物虐待事件。

「辛い」とか「可哀想」よりもこの世にはこんなおぞましい行為ができる人間が存在するのかと背筋が凍った。

私も帝王切開で息子を産んでいるからこそ全くもって他人事ではなかった。動物と人間は違うけれど、男性よりは確実に非力な女性という身。自分だって同じ状況にならないとは言えない。危機感を覚えた。

 

また、更に思うのは最期のときまで幸せを全うできている動物は、この世に生を受けた数に対しどれぐらいいるのだろう。

どれぐらいの飼い主が動物の命に責任をもって接しているのだろうか。食べ物であればどれぐらいの人たちが命に感謝をして食べることができているのだろうか。どの職業でも、一般家庭でも。

 

こちらの都合で勝手に人間と生活させているのにカネのために虐待(法の逸脱)を横行させるなんてあんまりの仕打ちだとあらゆる動物業界の方々は誰も思わないのだろうか。こういった愛護団体が声を上げているのに他の動物取扱業の経営者の方々はうんともすんとも言わない。それどころがガセネタまで流す始末。恐ろしく強気である。

 

 

命の軽視や無責任さ。

これがここ最近顕著になっているのではないだろうか。

動物というのは法律上モノ扱いなので言ってしまえば人間の赤子より立場が弱い。人間社会では間違いなくカースト最下位の存在。彼らへの接し方はその人間そのものを表していると思う。

 

人間・・・に限らず動物というのは余裕がないとどうしても弱いものへの当たりが強くなる。私自身子育てをしていて痛感することだ。

 

今の社会は弱い者がどんどんどんどん泣きを見ている。

社会の健全度合いを測りたいのなら、身近な動物に一度目を向けてみるのもいいかもしれない。一番弱い立場だけれど、私達の生活を土台で支えてくれているのは間違いなく社会で働いている動物達なのだから。

動物の環境や彼らの視点もお金とか性とかと同じくらい大切な教育だと思う。

 

 

私はペットを買ったことはないし、動物園や水族館も自ら進んでは行かないので、動物への接し方の正誤判断は正直難しい。

前述した祖父母宅のにゃんこですら毎回抱っこさせてもらうとき「これで合ってるんやんな?」とオドオドしてしまう。

 

動物への接し方なんで本来相手のことを思いやれているならば「正しさ」というのは存在しなかったはずである。

 

Evaでの活動を見ていると行政や司法の動物に対する姿勢がよく分かる。行政にしても司法にしてもあまりにも命のあるものに対して非情すぎやしないだろうか。お前らの血は何色だ?と問いたくなるような対応しかされない。政治的な問題も絡んでいるとは思うけれど。

 

 

動物のことを対して知らない人間ですらこう思ってしまうのだから、実際に家族として動物と暮らしている方々にとってこういった事件が耳に入るのは殊更辛いことと思う。

 

 

 

【特集】杉本彩のEva通信 犬や猫、ペット 動物たちの今 | 福井新聞ONLINE

今現在署名活動をされていますが、ここの記事をひと通り読むと動物虐待の厳罰化の必要性もうなづけます。

昔好きで見ていた動物バラエティ番組にも切り込まれていて、ここに出ていた動物たちを見る目が180度変わりました。マスメディアも罪深いな。

 

ここまで動物をモノ化することを助長しているのは何のためだろう。

 

 

映画ムクウェゲ「女性にとって世界最悪の場所」で闘う医師 を観た。

数ヶ月前、こんな記事を書いた。

 

lazysong.hatenadiary.com

 

メインブログに当初投稿したが、あまりにも他記事と毛色が違いすぎるのでこちらのブログへ移動させた。読んでくださった方々、スターをつけてくださった方々ありがとうございます。読まれているかわかりませんが(過疎過疎ブログだもんで)、ここでお礼を述べさせていただきます。

 

 

さて、私は一度この映画を観る前にEテレで放送されていた特集を視聴した。このとき初めて鉱物紛争なるものを知った。

そこからインターネットで自分なりにコンゴ民主共和国(以下DRC)について調べまくった。ルワンダ虐殺から始まった最悪の国のカタチ。歴史上の接点という意味では我々日本人は関係ないと言えるかもしれないけど、スマホやパソコンの恩恵に肖っている時点でもう無関係・無関心とはいかなくなった。どうすればこの悪夢のような状況を打破できるか、私なりに考えをまとめた上でこの映画を視聴した。

 

 

知った上で観ていても被害者の方や元加害者の方のインタビューで涙が出てきてしまった。本当に非道いのだ。それでも淡々と当時の状況を話せるほどには回復*1できているのを見ると、不思議ながら人間の底力のようなものも感じた。

DRCの街の様子を見て意外だったことがある。紛争自体は一応終結したとなっているからか、街の光景は賑わいがあるように感じた。沢山の家が立ち並び、人々の往来も活発だ。ほどよく木々も生い茂っていて、景観は非常に良い。

ここが本当に「女性にとって世界最悪の場所」なのか?と思うほど。いや、逆にそれだけ性暴力を主流とした抗争になっているということだろう。

「豊かな土地にも関わらず、人々は貧困に喘いでいる」という趣旨のセリフが印象的だった。そして豊かゆえに「窓もドアも鍵もない宝石店」となってしまっているのだ。

しかも司法制度の明らかな欠陥。そうなると人間はここまで倫理感を欠落させることができる。人間の悪意は底知らずだと思った。

 

もう少し斬り込んで欲しかった点もある。辛口なコメントになっているかもしれないが何点か挙げていく。

問題の紛争鉱物について「世界の企業は実際どれほど真摯に取り組んでいるのか」

書面上こういうプロセスで取引しましょうという決まり事はあるがその実態は?

それを達成できていると主張する企業側とDRCの現実問題は大きすぎる乖離があるのだ。A◯pleやテ◯ラとまではいかないが日本国内でJEITAなんかに取材はできなかったのだろうか。日本の一大産業といえば車だが、当然これにも紛争鉱物が使われている可能性は十分にある。有名メーカーでも「サプライヤーに対しこうした取り組みをしている」とホームページ上で確認できないところもある(上手く調べられていないだけだったら申し訳ないが)

努力義務というのもあるが、業界内でこの問題はどこまで浸透しているのか。

TBSが日和ったのかは分からないが、多少触れて欲しかった。むしろここに時間を割いても良かっただろう。

 

次にBLM運動が盛んな欧米で現在のコンゴの情勢ついてどれほど認知度があり、取り組みをしているのか。この運動の一環でかつてDRCを私的支配していたレオポルド2世の像が破壊されている。日本に比べれば、欧米諸国のほうが自分事として捉えている人が多そうだがどうなのだろう。

ただ、少し前にSNSで流れてきた欧州議会の様子だと女性が(一部だけ切り取られた動画だったのでどういった方かはわからなかった)「あまりにもDRC東部の状況について関心が薄すぎる!」と声を荒らげていた。

やはり向こうも日本と対して関心度は変わらないのだろうか。

欧州まで飛び、もう少し取材範囲を広げてもよかったのではないだろうか。

 

 

次。これが聞いてて「????」となったのだが、性加害者にならざるを得なかった人に対し「女性をレイプするときお母さんやお姉さんの顔は浮かびましたか?」「あなたは被害女性に会ったらなんと言いたいですか?」といった不必要に傷口に塩を塗るような質問。少し前に某アイドルも元日本兵だった方に似たような質問をしていたが、そういったことを聞かなければならないルールでもあるのだろうか。

その質問の意図がなんなのか私は分からなかった。

「事情はわかるが性暴力を働いたのだからお前は加害者だ、悪人だ。そこ理解できてる?」というような感じに聞こえたが・・・・・・。

違ってたらすみません。

彼は加害者だが被害者である。武装勢力に逆らえば家族もろとも皆◯しなのだ。

実際「性暴力を行う際には麻薬を使用する」「武装勢力の頭が死んだのでこの混乱に乗じて逃げた」と言っていた。この事実だけで彼の心中は十分に察することができる。

そういった質問は武装勢力の幹部クラスにでも聞いたほうがいい。きっと彼らにはそういった行為を正当化できるだけの大仰な志があるのだろうから。

 

ムクウェゲ医師の暗殺未遂についてのエピソードでは

国外へ一時避難していたムクウェゲ医師に対し女性達が「国も国連も守ってくれないなら私達が守る。だから帰ってきて」と微々たる給料にも関わらずDRCまでの運賃を医師へ渡したという。

ここのシーン、美談ように捉えてしまいがちだが、問題なのは「国も国連も」の部分。ここに「私達が入ってしまってる」と感じたのは私だけだろうか。

日本は国連に加盟している。国連総会や理事会で日本の顔となっているのは外務大臣だ。その大臣は国会議員から選出される。その議員を選ぶのは私達だ。

自分の持つ選挙権の重み。これを一人ひとりが感じることができたら。たかが一票されど一票。

もちろんこのことだけで投票先を決めるべきではなく、あくまでもひとつのファクターとしてあってもいいんじゃないか?ということ。

残念ながら、いろいろ考えた末がこの結論である。実質無力といってもいいかもしれない。病院にも2回ほど寄付をしたけど、どうしても自分の無力感やそれに対しての懺悔の気持ちは拭えない。

 

一刻も早くDRC内に平穏が訪れるように、同じ女性として今後も関心を寄せていこうと思う。

 

*1:映画内では修復と言っていた。ギリギリ活力を保っているのかもしれない

ジャニーズの件から見えてくる摩訶不思議JAPAN

BBCによる「ジャニー氏の未成年に対する性行為暴露」は日本国内を動揺させたと思う。

 

そのあとの岡本カウアン氏の告発もジャニー氏=性加害者としての印象を更に強め、事務所側も遂に長年の沈黙を破った。*1

 

www.nikkei.com

 

 

これまでジャニーさんが「そういった性癖のある人」という認識は、少なくとも一度はジャニオタになったことのある人間ならばあっただろう。

まさかここまで非道いとは思わなかったが・・・。

 

一般人である私達ですらその認識だったのだから、ジャニーズ事務所内ひいてはメディア業界では殊更周知の事実だったに違いない。

 

これを業界側がスルーし続けてきたのはなぜなのか。

はたまた少年たちもそういった環境であるにも関わらず逃げ出そうとも思わなかったのはなぜなのか。

 

BBCの取材はその点において非常に興味深いものだった。

 

私が見たのはyoutube上にアップされている短い動画のみだが、それだけでも欧米の感覚と日本の感覚の差異を感じ取るには十分だ。

思うになぜ「被害」が拡大・継続してきたかに関しては、世界的には当たり前じゃなかったことが日本では当たり前だったという一点につきる。それが良いのか悪いのかは一旦置いておこう。

 

 

この「当たり前(イデオロギー)」というのが、矛盾に対しての抵抗感のなさ――その根っこに愛国主義があるんじゃないかと私は思っている。

もちろんこれは無意識的な話で、実際にこんなことを街なんかで話したら笑われそうだ。愛国ってwwwてね。

 

動画内ではこの一連の被害の原因が「恥の文化」ではないかと語る場面がある。

これは確かに日本人特有だ。

似たような言葉として「同調圧力・事なかれ主義・長いものには巻かれろ、出る杭は打たれる」などわんさか出てくる。尚、これらはあまり良い意味では使われない。

 

この国の不思議なところは、民主的であるかのような外面で実際は君主制のような体制が敷かれているところなのではないだろうか。

一番わかり易いのが政治の世界。半分以上が自民党なのだから、これのどこが民主的なのか、考えてみればそもそもおかしい。さらに言えば立憲民主党も疑似自民のようなものだから野党としてカウントしていいかも怪しい。

こうなると論争するだけ無意味。国会にも緊張感がなくなり、自民党ありきの政策が進むこととなる。

もっと身近な例を挙げてみる。

結婚式は教会で挙げる一方で、葬式はお寺だ。食事風景だって日本食だけでなく、イタリアン、フレンチ、中華・・・などバラエティに富む。

 

「日本人たるものこうだろう」というイデオロギーがなんなのか改めて考えさせられる。

要するに日本人って信念とか信条のようなものが意外と弱いんじゃないだろうか。「善悪の区別」が曖昧にもなりがちなのかもしれない。ただこれがこの国の短所だとも思わない。

 

 

ただ、この矛盾を成立させるために一役買っているのが「愛国主義」でこれが少し厄介の種なんじゃないかと私は思う。遡れば明治維新になるが、天皇が絶対であるという教育を徹底的に施したその名残が今もあるのではないだろうか。

 

これもよく言われることだが、日本社会は横より縦の関係のほうが強い印象にある。欧米諸国ならばフラットにいけるところ、日本だとひんしゅくを買うこともある。

すなわち目上の者が白といえば黒でも白になるのだ。

 

今回のジャニーズの件に関して一番興味深かったのが、絶対的存在であるジャニー氏に逆らえず泣き寝入りをしていたジュニアの構図――無理やりそういった行為をしていた訳ではなかったという点だ。

被害を受けた筈の側が、むしろその行為を肯定的に受け止めていたところにある。BBCでもそこに言及していた。

 

 

 

それが「グルーミング」と呼ばれていた行為。

グルーミングとは、搾取される側がその相手とまるで特別な関係にあるかのように思ってしまう環境を搾取する側が作り出すこと――BBC NEWS JAPANより引用

 

となるならば、愛国主義を更に解体するとそこから見えてくるのは「自己責任・自己犠牲」という言葉。

「他人のせいにしない」というのは我々日本人なら刷り込みを受けてきているであろうこの文句。

「私が好きでこうしている」「こうなったのは私のせいだから」「あの人は悪くない」

こうして自己犠牲の精神を尊ぶ。それで正しいかのように社会も回る。

トップが「させられている」を「している」に変換させてしまうほどのカリスマ性がないとまず成立しないが、うまくハマるとまさに一種の帝国が生み出される。

 

 

 

すなわち今回の騒動で言うならば、ジャニー氏とジュニアたちは雇用主と労働者というよりも「君主と臣下」のような関係なのではないか。

そしてこれはジャニーズ事務所に限った話でもないだろう。性被害とは別の形で悪しき文化が横行していてもおかしくない*2

 

ではその幼気な少年を守るべきだったのは誰か。紛れもない周りの大人達だったはずである。

キング・オブ・ポップと言われたマイケルジャクソンの子どもに対する性虐待疑惑に対しては、世界中で大スキャンダルになった。

今まさに同様のことが起きているが、日本のメディアが十分にこのことを報じているかというと疑問が残る。報道の自由とはいずこに?こんなときのマスメディアじゃないの?

結局彼らも例外なく「長いものに巻かれている」のである。

公平公正などどこ吹く風。

 

 

 

 

日本という国は民主主義の皮をかぶっているだけであり、蓋を開けてみると絶対的君主の側面が強い。

正直国民に主権があることを実感するほうが少ない。皆お上から言われることを「へぇへえ」と聞くばかり。

当然だが、私自身もそういう気質がある。それを今回の件で痛感させられた。

 

 

日本以外もそんなもんだと思っていたが、BBCの取材者の表情と取材内容を鑑みるにだいぶこの状態は奇異的らしい。

 

この騒動は日本という国をグローバルに見るいい機会だ。

「良いか悪いか」「責任の所在」などではなく*3、当たり前の日本という話にまで広がると更に本質が見えてきそうな気がする。

 

少なくとも確実に変わるであろうことは、これまで定番化してきた男の子に対しての「あらぁ、将来はジャニーズ?」なんて発言は戦慄を生むんだろうな。

 

BBC、故ジャニー喜多川氏の加害について取材 言葉を詰まらせる元ジュニア - YouTube

グルーミングとは……性的被害専門のセラピストに聞く ジャニーズ事務所取材のBBC記者 - YouTube

 

*1:正確には揉み消せなくなった

*2:少し前で言えば、舞妓さんの告発や情報番組で芸人がペンギンの池に落ちたのも同様かなというのが個人的見解

*3:加害者側は亡くなってますしね

スーダンへの自衛隊派遣

 

news.yahoo.co.jp

 

自衛隊をどのような役割とするか。

 

危険地帯に赴けない軍隊ってなんなんだろう(正確には軍隊ではないけど)

 

 

国際社会的に見れば活動権限が弱小すぎるのは否めませんが、だからといって短絡的に9条改正に走るのも違う気がするんです。

だって目指すべきは武器を置くことだと私は思っていますので。

 

とはいえ今回の件は自衛隊なのに自国民を守れていないという矛盾を生じさせていますね・・・。

 

 

とにかくこれは政治家の皆さんには話し合いに話し合いを重ねてほしい。

メディアにもWCやWBCばりにテレビでも取り上げてほしい。

それが民主主義ってもんでしょ、などと言ってみる。

 

議論を重ね尽くした先が9条改正でも、そうじゃないにしても国民は――少なくとも私は納得できるかな。

 

 

私もまだまだ学ばなければならないな。

 

少子化対策やる気なくない?

バラマキばらまき散播・・・

 

ほんとに身のあることしないのなんなんでしょう。

 

本日よりこども庁が発足。正直なにこれ。何がしたいのかわからない。

幼保一元化せんかったらなんの意味もない省庁じゃない?

しかも予算5兆って舐めてんのか。

 

せめてあと三倍は出してよ。

 

それが無理なら作る意味ない。

 

私は政治は全然知らないことのほうが多い。だからこそより自分ごとに近いものは頑張って相手方(政治家側)の意図を考える。

 

最近では大阪都構想がそうだった。市民ではなかったけど、都構想が可決されれば市内外にも波及する可能性は十二分にあるから。

維新の会の意図は今回のそれに比べると何がしたいのかが明確だったと思う。彼らの未来ビジョンは地方分権でしたね。

なるほどな、と。それで可決でも否決でも民意なので納得できる。

 

で、私は1児の母なのでこども庁がどういう働きをするのかは当然刮目すべき事柄でした。

 

先んじて実施している欧州や北欧の状況を調べてもらえばわかるように、幼保一元化となればそこに予算を集中させることができるし、より円滑に子どもたちは学習段階が移行でき、親としても金銭的にも時間的にもコストがかからなくなる。

いわばこれをせずして存在意義なしと言い切りたいぐらい。

 

いじめ問題、貧困問題、虐待などはそれぞれ既に所管がありますよね。

そして問題点も明確。そしてそれは指揮系統を作ったからどうにかなるもんでもない。

 

もう、とにかくやっつけ仕事がひどすぎて、ワタクシお酒飲みながら腸が煮えております(クソデカため息)

 

でもなんかしらメリットもあるんでしょうか。もうなんだかわからない自分も居たりします。

 

ただの愚痴失礼しました。

武器を置く

安倍政権時、「憲法9条」を改憲する気運が高まっていたように思います。

かくいう私自身も改憲賛成派でした。

なぜなら隣国は北朝鮮・中国・ロシアと核兵器を持っていたり、軍事力が上り調子の国々だらけだから。いずれ9条なんて関係なしに侵略に来るかも、アメリカだって本当に傘となって日本を守ってくれるのか甚だ疑問だし、と。

 

アフリカでの悲惨過ぎる紛争に、ようやく井の中から出て世界が今どんな状況なのか自分なりに情報収集をするようになりました。

 

どうすれば「争い」ってなくなるんだろう。

弱い女性や子どもが被害を受けずに済むんだろう。

 

もう少し厳密に言うと「争い」自体はなくならないと思います。

 

ただ、国際法に則ったぶつかり合いは、理想的な大義

何かで読んだことがあるのですが、日本でも戦国時代のあたりでは合戦の場から少し離れたところで、農民たちはお弁当を食べながら観戦していたこともあったとか。

すなわち戦う人・そうでない人が分けられるのが理想だよなというのは常々思っていて。

 

戦わない人を守るためにも、これから先進国と対等な軍事力を持つ。これからの平和への道はこれなんじゃないか。そう思っていました。

これは世界を知った気になったつもりで、まだまだ国内情勢にしか目を向けられていなかったが故ですね。

 

アフガンで医師として活動しておられた中村哲さんの発言を拝読してハッとさせられました。

 

「向こうに行って、9条がバックボーンとして僕らの活動を支えていてくれる、これが我々を守ってきてくれたんだな、という実感がありますよ。体で感じた想いですよ。武器など絶対に使用しないで、平和を具現化する。それが具体的な形として存在しているのが日本という国の平和憲法、9条ですよ。それを、現地の人たちも分かってくれているんです。だから、政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さない。むしろ、守ってくれているんです。9条があるから、海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。それが、ほんとうの日本の強味なんですよ。」

wikiより引用)

 

このまま自衛隊の活動範囲を広げることや軍備増強に走るのは実はとんでもない間違いだったんじゃないか。

 

争いを止めるのは、お互いが武器をもった状況にするのではなく、置いた状態を作ること。

武器を置いている状態が普通の人間に、わざわざ攻撃することはない。

むしろ私達の役目はこの憲法9条を波及させていくことなのかもしれません。

 

人の悪意は想像以上に深いものです。日本ではありえないことが他国では当たり前にまかり通っている。

この現実に気付かされました。

 

これからも勉強を続けていきます。

 

 

では、ここまでお読みいただきありがとうございました。